こんにちは。リオネットセンター鹿児島の尾山です。
9/17から放映されている映画『聲の形』を見に行きました。
仕事柄、上映前からずーーーっと気になっていたんですが、なかなか暇が取れず・・・やっと!!
この歳でアニメってチョット恥ずかし(;一_一)と思いつつも、POP!コーンとコーラで前列確保(笑)
いよいよ上映スタート!
序盤
とある小学校のクラスに転校してきた難聴の女の子
↓
少しずつイジメに発展
↓
それでもいつもけなげに笑う女の子
・・・・ハイ、もうココでダメーー(ToT)すでに涙腺決壊!
あ~もう!最近の涙もろさよ!!スクリーンが見えねーー!!
中盤
いじめた側・いじめられた側・友達や周囲の人間・それぞれの親兄弟などの動きも細かく描写してあり、それぞれの立場に立っていちいち号泣・・・(T_T)
ホント、周りに誰もいなくて良かったわ・・・
イジメのために補聴器を隠したり壊したり、補聴器に携わる者として怒りを覚えました。
あ、いかん・・・思い出して泣きそう。
終盤
成長し、それぞれゆっくりわだかまりを解きつつ心情の変化に対応していく。
んが!!衝撃のラストが(>_<)私をまた泣かす!!もう周りの迷惑も顧みずむせび泣く!
女の子の心が痛いーーー!!うわーーん!!ハンカチが足りなーーい!!
こうして目を真っ赤に腫らして映画館を後にしたのでした・・・
と、まあ内容が全く伝わらない感想で申し訳ないんですが(*^_^*)
仕事目線で見ると、女の子の使ってる補聴器が小学生時代は肌色のベーシックなものでしたが、高校生になって、真っ赤な補聴器とイヤモールドになってるんです。
ここ最近の補聴器カラーの豊富さと女の子の隠さないカラー選択という時代と意思を感じ取れました。
また、補聴器をしている(=全く健聴者と同じく)聞こえるという勘違いも加わってクラスメートの戸惑いも分かりますが、もっと周りの大人のサポートや難聴や補聴器に対する理解があれば誤解やイジメも防げたのでは?と感じました。
個人的に凄く共感できたところは、手話を使って話しかけると女の子がすごく興奮気味に喜ぶんです。
実際に手話を使っている方々も同様の反応をすることが多く、少しの覚えた手話を取り入れると、「あぁ、この人は通じる!」と堰を切ったように手話で話しかけてくれます。
学生の頃、喋れない英語圏にホームステイに出された事を思い出します(笑)
まぁ、言葉が通じない×2!!
つい口数が少なくなり、でも嫌われないようにニコニコ過ごすストレス!(;∀;)
言語が同じでコミュニケーションが取れる人と出会えた時の喜びは痛い程分かります。
そういう意味では『聲の形』って表現すると、手話は単に表現方法の違いであって障害の概念を捨てて双方対等に理解し合う姿勢が大切なんだなと思い至りました。
まだまだ感動ポイントが沢山ありすぎてきりがないので(母親視点の心情やら!)、気になる方はぜひ!映画館に足を運んでみてください。