「御供納」(ごくおさめ)
2009/12/18 金曜日 18:26:33 久留米店|個別ページ|コメント (0)|カテゴリ:久留米店のブログ
はじめまして! 今回のブログは久留米店の高尾がレポートいたします。
今日は私の住んでいる久留米市宮の陣町八丁島の行事「御供納」をご紹介します。
まずは「御供納」の由来になったお話から。
・・・・・
昔、八丁島に爺さんと婆さんが住んでいた。大雨のある日、若い旅人が泊めてくれとやって来たため、親切な爺さんたちは泊めてあげることにした。その晩、近所の「おかね」という美人の娘が現れ、旅人はその娘にひと目惚れし、夫婦となった。
しかし「おかね」は毎晩夜歩をする。それを不審に思った夫はある晩後をつけてみることにした。すると池の前で蛇の姿となり、池の中へと入っていくではないか。驚いた夫は慌てて家へ戻り、「おかね」の帰りを待った。帰ってきた「おかね」にそのことを話すと女は泣きながらこう話した。
「私はあの池の大蛇です。子供の時分、人間の世界を見ようと池から出たところ、子供たちに掴まって殺されようとしました。その時あなたが通りかかって助けてくれたので、その恩返しをしようと娘の姿となってあの村に棲みつきました。あなたの妻となった今も池の主である私は、一日一回は必ず池に戻り勤めを果たさなければなりません。しかしこうして私の本当の姿を見られたからには人間界に住むことはできません、お別れです」
夫は乳吞児も育てなければならないし、どうか行かないでくれと頼んだが、女は子供を抱いて泣くばかりであった。
池に帰る前に女はきれいな玉を一つ取り出し、「この子が泣くときはこの玉をくわえさせてください」と言った。女の言うとおり、子供が泣いた時はこの玉をなめさせるとピタリと泣きやみ、乳もないのにすくすくと育った。
子供が二つになった時、村の者が男を騙してこの不思議な玉を取り上げた。それから子供は火のついたように泣き、どうやっても泣きやまない。途方に暮れた男は泣く子を連れて池の前までやってきた。その時池の中に泣き声が聞こえたのか、目の前に大蛇が現れた。
男はあの玉を騙されて取り上げられたことを話すと大蛇は悲しんで「あの玉は実は私の目玉です。もう一つ目玉はありますが、盲になったら蛇になることができません。子供は可哀そうですが私にはどうすることもできません」と言い水の中へと消えてしまった。
男はそれを聞いて「生きていても何の楽しみもない。それより夫婦そろって池の中で子供を育てた方がよっぽどましだ」と、子供と共に池の中に身投げした。
それからというもの、この村では大水が入り、日照りが続いた。また悪い病気が流行ったり、火事で家が焼かれるなど原因不明の不幸が続いた。不安になった村人たちは祈祷師に頼んで祈ってもらったところ、「この池の祟りじゃ。毎年十一月廿日に 十歳になる男の子を一人ずつ池に御供すればその次の年は無事であろう」とのお告げがあった。
それから一年に一人ずつ男の子を人身御供で池に沈めていたが、あまりにもかわいそうなので通りかかった全国行脚の御坊さんに相談した。
すると「米三石三斗を人身御供の代わりに池に供えればよいであろう」と教えをくださった。
御坊さんの言うとおり米をお供えしたところ、次の年は無病息災、五穀万作だったため、翌年からはそのようにするようになったということです。
・・・・・
八丁島の入口にある「天神堀」、これがその池です。
この池に玄米三升三合の御供(ごく)を納める行事を「御供納」(ごくおさめ)と言い、私たちは御供(ごく)さんと呼んでいます。
八丁島には7つの座があり、7年に一回廻ってくる座の子供たち(男児限定)が前日に筑後川で身を清め、近くの神社(精進小屋)にこもり、当日舟に乗り込みます。
こうして神主さんが先頭に乗り、池の中を3周回り、
3周回ったら玄米3升3合を水に漬け、一気に沈めます。
最後に岸から池の中央の楠の大樹に矢を射て、大蛇の怒りを封じます。
そして五穀豊穣と子供の無病息災を祈願します。
毎年12月第2日曜日に行われているこの行事は300年以上の歴史があり、昭和60年には無形民俗文化財にも指定されているんですよ。
私は子供の頃から見ているので見慣れていますが、本当に珍しい行事だと思います。
そしてこれからも、この行事を守り続けて行きたいと思います。
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今日は私の住んでいる久留米市宮の陣町八丁島の行事「御供納」をご紹介します。
まずは「御供納」の由来になったお話から。
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昔、八丁島に爺さんと婆さんが住んでいた。大雨のある日、若い旅人が泊めてくれとやって来たため、親切な爺さんたちは泊めてあげることにした。その晩、近所の「おかね」という美人の娘が現れ、旅人はその娘にひと目惚れし、夫婦となった。
しかし「おかね」は毎晩夜歩をする。それを不審に思った夫はある晩後をつけてみることにした。すると池の前で蛇の姿となり、池の中へと入っていくではないか。驚いた夫は慌てて家へ戻り、「おかね」の帰りを待った。帰ってきた「おかね」にそのことを話すと女は泣きながらこう話した。
「私はあの池の大蛇です。子供の時分、人間の世界を見ようと池から出たところ、子供たちに掴まって殺されようとしました。その時あなたが通りかかって助けてくれたので、その恩返しをしようと娘の姿となってあの村に棲みつきました。あなたの妻となった今も池の主である私は、一日一回は必ず池に戻り勤めを果たさなければなりません。しかしこうして私の本当の姿を見られたからには人間界に住むことはできません、お別れです」
夫は乳吞児も育てなければならないし、どうか行かないでくれと頼んだが、女は子供を抱いて泣くばかりであった。
池に帰る前に女はきれいな玉を一つ取り出し、「この子が泣くときはこの玉をくわえさせてください」と言った。女の言うとおり、子供が泣いた時はこの玉をなめさせるとピタリと泣きやみ、乳もないのにすくすくと育った。
子供が二つになった時、村の者が男を騙してこの不思議な玉を取り上げた。それから子供は火のついたように泣き、どうやっても泣きやまない。途方に暮れた男は泣く子を連れて池の前までやってきた。その時池の中に泣き声が聞こえたのか、目の前に大蛇が現れた。
男はあの玉を騙されて取り上げられたことを話すと大蛇は悲しんで「あの玉は実は私の目玉です。もう一つ目玉はありますが、盲になったら蛇になることができません。子供は可哀そうですが私にはどうすることもできません」と言い水の中へと消えてしまった。
男はそれを聞いて「生きていても何の楽しみもない。それより夫婦そろって池の中で子供を育てた方がよっぽどましだ」と、子供と共に池の中に身投げした。
それからというもの、この村では大水が入り、日照りが続いた。また悪い病気が流行ったり、火事で家が焼かれるなど原因不明の不幸が続いた。不安になった村人たちは祈祷師に頼んで祈ってもらったところ、「この池の祟りじゃ。毎年十一月廿日に 十歳になる男の子を一人ずつ池に御供すればその次の年は無事であろう」とのお告げがあった。
それから一年に一人ずつ男の子を人身御供で池に沈めていたが、あまりにもかわいそうなので通りかかった全国行脚の御坊さんに相談した。
すると「米三石三斗を人身御供の代わりに池に供えればよいであろう」と教えをくださった。
御坊さんの言うとおり米をお供えしたところ、次の年は無病息災、五穀万作だったため、翌年からはそのようにするようになったということです。
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八丁島の入口にある「天神堀」、これがその池です。
この池に玄米三升三合の御供(ごく)を納める行事を「御供納」(ごくおさめ)と言い、私たちは御供(ごく)さんと呼んでいます。
八丁島には7つの座があり、7年に一回廻ってくる座の子供たち(男児限定)が前日に筑後川で身を清め、近くの神社(精進小屋)にこもり、当日舟に乗り込みます。
こうして神主さんが先頭に乗り、池の中を3周回り、
3周回ったら玄米3升3合を水に漬け、一気に沈めます。
最後に岸から池の中央の楠の大樹に矢を射て、大蛇の怒りを封じます。
そして五穀豊穣と子供の無病息災を祈願します。
毎年12月第2日曜日に行われているこの行事は300年以上の歴史があり、昭和60年には無形民俗文化財にも指定されているんですよ。
私は子供の頃から見ているので見慣れていますが、本当に珍しい行事だと思います。
そしてこれからも、この行事を守り続けて行きたいと思います。
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