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内田邦雄さんの声

前回の小学1年生の女の子の次は、82歳のお客様、宮崎県串間市の内田邦雄さんの登場です。「大束(おおつか)の神様」と呼ばれる内田さんにお話を伺いました。
「大束の神様」とはどういう意味ですか?

内田さんとリオネットセンター宮崎の甲斐店長
神様は大げさですよ(笑)。大束は地名です。この土地の名産である食用の甘藷(かんしょ)を作り始めたから、周りがそう言ってくれるけど、なんとも照れくさいですね。
※甘藷:さつまいものこと。
大束の甘藷は有名ですよね。作り始めたのはいつ頃ですか?
同じ集落の仲間5人とともに、昭和40年に初めて植えて収穫しました。県職員で農業担当をしていた弟の助言どおり作ったはいいけど、売るルートもない状態でした。なにしろ初めて作ったから、農協も売り方がわからない。せっかく作ったから、行ったこともない市場に直接持ち込んでみたんです。

山大の甘藷を使った芋焼酎
冒険ですね。持ち込んだ甘藷は売れましたか?
売れました。しかも思っていた金額より高く売れた。「これだ!」と思いましたね。それまで大束はデンプン用の甘藷を作っていたんです。でも輸入物が入ってきてからは厳しくなる一方だった。まさに転換期でしたよ。大束に戻ってすぐ貨物列車を1両借りて、姫路の市場へ送りました。今も関西の市場では大束の甘藷「山大」は有名ですよ。
みんな食用甘藷に切り替えていったんですが、貯蔵できないことには産地化は難しい。そこで土手に横穴式の貯蔵庫を造ってみました。成功の裏付けなんてなくて、いちかばちか…。結果は成功。いやあ良かった。
なるほど、それで「大束の神様」なのですね。「山大」のブランドが高く保たれているのはなぜだと思いますか?
生産者の意識が高いからです。最初は苦労しました。品質の悪い芋を市場に出すわけにいかないと、ひと箱ひと箱チェックしました。生産者同士、お互いの芋を見ることで向上心を持ち、質の良いものを市場へ提供できるようになりました。
甘藷は一人が「おれだけ儲けてやろう」と出し抜こうとしても絶対うまくいきません。みんなで一致団結して生産量を高め、安定して供給できなければ、市場の信用も勝ち取れないのです。助け合う気持ちが大切です。
お話を伺っていると内田さんのリーダーシップの高さが分かります。道を切り開いた行動力に脱帽です。

チーム最高齢を感じさせないりりしい姿
今もグランドゴルフをしたりと動くのが好きですね。人と接するのも好きです。補聴器の助けもあってみんなと楽しく話が出来ています。生まれてすぐ病気をして耳を悪くし、それが普通だったからそんなに不便を感じてはいなかったのですが、昭和50年に家内のおじいさんが使っていたポケット型補聴器を試してみたら良くてね。それから補聴器を使っています。リオネットさんとも長い付き合いですよね。今では補聴器は体の一部になっているくらい大事です。
最後に内田さんにとって甘藷とは?
命です。作り始めた頃、話をしてくれと言われたものの原稿がなく、困った末に出た一言、「私にとってこの甘藷は命なり」が本当にそう思えるものになりました。
今でも2時間かかる道のりを運転して、リオネットセンターへ来て下さる内田さん。責任感の強さと仲間を想う優しい気持ちが伝わるインタビューでした。ありがとうございました!







