馬原さんご夫妻の声

写真:馬原さんご家族

ともに難聴ながらお互いに支えあい、仕事に子育てにと頑張る馬原さんご夫婦にお話をお聞きしました。


なんで自分だけ…

馬原さんご夫妻はお二人とも難聴ということですが、何才から補聴器を着けていらっしゃるのですか?

写真:馬原さんご家族

(ふたりとも)3歳からです。
(秀一さん:以下秀)最初に着けたときはあまり覚えていませんが、5歳のとき先生が「あいうえお」と発音したのを覚えています。音というより振動として感じることが出来ました。
私たちが子どもの頃の福祉用補聴器はポケット型で、ちょうど胸のところに常時本体がある状態でした。今のポケット型より大きかったですから、友達に「胸がある~、女みたい」とからかわれました。坊主頭だったのに(笑)。今は笑いながら話せますが、その当時は本当に嫌でしたね。
(美代子さん:以下美)わたしも興味半分で「何着けてるの?見せて見せて」と言われたり…。
(秀)私は中学まで、妻は高校まで普通の学校に通っていましたから、からかいの対象になりやすかったのかもしれません。ふたりとも家族はみんな健聴なので、なんで自分だけ耳が聞こえないのかと苛立ったりもしました。

コミュニケーション

会話は手話で行っているのですか?

写真:馬原さんご家族

(秀)ふたりとも家族が健聴者の家庭で育っているし、小さい頃からろう学校に通っていたわけではないので、手話は身近なものではありませんでした。家族も手話はできませんから、自然と補聴器からの音と口の動きをみて理解してきました。中学でろう学校に通いだして手話を初めて勉強しました。学校から帰って兄に「お兄ちゃんの名前はね…」と言って手話を披露したのを覚えています。
(美)私が手話を覚えたのは社会人になってからです。高校まで必要なかったので…。難聴の友人たちと会ったとき、私以外がみんな手話で会話していて、すごく疎外感を味わいました。健聴者と話すときは補聴器と口の動き、難聴者とは手話と場面によって使い分けます。
(秀)手話と補聴器と口の動きを読んでの会話、どちらも出来るので日々のコミュニケーションに支障を感じたことはありません。ただ、アクシデント時のアナウンス等が分からないことはありますね。何が起こっているかが分からないまま2時間も電車に閉じ込められたときは困りました。

音の違いが分かる喜び

スポーツが好きとお聞きしました。お二人の出会いもバドミントン大会だったとか?

写真:バトミントン

(秀)バドミントンやソフトボールなど、スポーツは今でもしています。補聴器を着ければシャトルの音でスマッシュなのかクリアなのかも分かりますよ。ちょっとした音の違いが分かることも試合では大きなポイントです。
(美)補聴器を着けることで趣味の幅も広がります。音楽も楽しめるんですよ。私たちの聴力だと補聴器を着けてもきちんとした音程はわかりませんが、なんとなくのメロディは分かるので、歌詞カードを見ながら何回も何回も聞き込みます。小・中学生の頃はアイドルが大好きでしたね(笑)
(秀)カラオケで虎舞竜の「ロード」を歌って兄に驚かれましたよ。「どうやって覚えたんだ」って。

子どもの声

現在はお子さん2人との4人家族ですが、子育てで苦労することはありますか?

写真:馬原さん

(秀)ものすごく苦労したり不便を感じていることはありません。ただ、補聴器を着けていないと、子どもの足音や泣き声が分からないので、そこは注意しています。子どもたちは健聴なのですが、私たちは健聴者のような発音を教えることが出来ないので、できるだけ他の人と話す環境を作ろうと心掛けています。
いつか家族4人で声だけで会話することが、私たち夫婦の夢なんです。